天穹に蓮華の咲く宵を目指して
   〜かぐわしきは 君の… 2

 “薫衣香(くのえこう)"  前編



立体的な体に合わせ、
背中や胸元、腰回りから下へなどなどと、
タックやダーツを取り、立体的に仕上がる縫製をする洋服と違い。
和装は、直線的に仕立て、
着付けの段階で体へのまとわせように工夫をするため、
よほど特殊な装いものを仕立てるのでない限り、
採寸の箇所も随分と少なめ。
まずは身丈といって身長を計る。
完成した着物の立衿から裾までという“着丈”は、
おはしょりやら何やらの都合も考えると、
ほぼ この丈に等しくなるので、ここはきちんと。
それから肩幅と袖丈を計り、
裄丈(ゆきたけ)というのも計る。
首裏のグリグリ、ちりけもとの辺りから肩先までと、
体の側線から45度ほど上げた格好で腕を下げ、
手首のくるぶしを隠す辺りまでの長さを足したものをいい。
単純に肩幅の半分と袖丈を足してもいいのだが、
ピンと張った袖丈で仕上げると つんつるてんになる恐れがあるので、
これも一応は。
後は、胸回りと腰回りに胴回りを計って。
そうそう、これは女性だから気づいていない人が多いのだが、
身頃の側の腋の下の八ツ口という隙間(というか切れ込み)は、
女性と子供の着物にしか空いていない。
子供の場合は着物にじかに縫い付けられた紐を回す関係から、
女性の場合は 丸みのある体型へ収まりのいい着付けをする折、
手を入れて引っ張りやすいようにであり、
この開き、男性の着物にはないので 悪しからず。





駅前に近い立地だとはいえ、いわゆる地元の商店街なせいだろか。
小ぎれいな駅舎に展開されている、
ちょっとお洒落なモールぽい並びとは 趣きも大きく異なっての、
何ともお呑気な空気感ただようところが、ともすれば親しみやすい通りであり。
パン屋さん豆腐屋さん八百屋さんなどは、
仕込みや卸の関係から早くに店を開けておいでが、
その他のお店はといえば、
ある意味 書き入れどきのお盆が間近いというに、
今ようやっとシャッターを開けましたという店も多く、
そこからして どこか長閑な空気が漂ってやまぬ。
売り出しのワゴンを表へと引き出しつつ、
お隣りのご主人へおはようのお声を掛け合うやら、
そうかと思や、
そうそう明後日からの売り出しだけどサと、
お客もそっちのけで何やら話し込み始めたり。
夏の商戦とかいう勇ましい言葉より、
下町長屋の表通りといったのんびりとした雰囲気が感じられ。
駅までの通行人は見受けられても、まだお客の層は少ない そんな中を、
たかたかと やや早足で進んでの幾合か。
結構な奥向きまで来て やっとのこと、

 「ここだよ。」

ひたりとイエスが立ち止まったのは、
特に古めかしく凝った作り…でもない一軒の店の前。
通りへ面したスイング式のガラス扉と
その左右にガラス張りのショーウィンドウを構えた、
言われなければ洋品店かと間違えたかも知れぬ、明るい作りの今時の呉服店で。
二面あるショーウィンドウは、
片やには 組み紐やら帯留め、
開いた扇に小ぶりなバッグといった和装小物が並べられ、
もう片側には、今時の商品ということだろう浴衣をまとったマネキンが2体ほどと、
巻物みたいな反物のままの帯が、半分ほど広げられての垂らされて展示されている。

 “うわぁ、いかにもイエスが好きそうな。”

そう、いかにも“エキゾチックなジャパン”を扱うお店であり、
しかもしかも、
雰囲気を乗っけただけなスーベニールを扱う土産物屋と違って、
正真正銘の本物、手入れさえ良けりゃあ孫子の代まで使えるよという品を並べた、
それはそれは敷居の高い、ついでにお値段もお高い印象も強い、
ビジネスマンスーツ以上に自分たちへは縁のなさげなお店だというに、

 「おはようございま〜す。」

少し重たげなガラス扉をぐいと押し開け、
行きつけの喫茶店よろしく、それは気軽に声をかけているイエスであり。

 “…呉服屋さんねぇ。”

話半分どころか、ほぼちんぷんかんぷんなブッダには、
後ろについてて ただ見ているしかない展開で。
店内は結構奥行きがあって、
これまた洋品店のように、ハンガーに掛かった既製品の浴衣やら割烹着やらが、
たくさん吊るされての居並んでいたけれど。
入ってすぐほど間近いところに もう上がり框が設けられていて、
畳敷きの間があったのがちょっと意外。
そこは壁一面が収納になっているらしく、
細いめの引き出しがたくさん刻まれてあり、
上の棚と下の地袋との間に紙を張った障子で窓を囲い、
明かり取りよろしく 外光を淡く取り入れている工夫は何とも優しげ。
身の置きどころというのが判らず、且つ、手持ち無沙汰でもあったので、
入り口側の土間のほう、細かい棚やハンガーに吊るされた、
虹色の組み紐や縮ませてある加工が面白い鹿子模様のへこ帯、
半衿とかいうV字の布の刺繍の細かさなどを珍しげに眺めておれば、

 「ああやっと来たね、イエスちゃん。」

先程の電話の声の主なのだろう、
割烹着ではなくエプロンで、
お召し物もごくごく普通の、半袖ポロシャツに花柄のドレープパンツというご婦人が、
サンダルをつっかけ、愛想のいい笑顔で店の奥から出ておいで。
イエスの方でも にゃはーといういつもの人懐っこい笑顔になって、

 「うん、お待たせしちゃったみたいだね。」

素直に ごめんなさいねとペコリと謝ってから、
ついて来た格好そのままに後方に控えていた相方を振り向きつつ、

 「あのね。この彼が、話してた友達のブッダだよ?」

そんな風に紹介する。
されたからには、
あ、初めましてとこちらも無難な笑いようで頭を下げたブッダだったが、

 「あれ? でも、ブッダさんて。」

初めましてのはずなのに。
どうしてだろか、こちらの女将さんはやや怪訝そうなお顔をしておいで。
というのが、

 「ちょっと変わった頭、髪形をなさってなかったかねぇ。」

いやごめんなさいよ、間近でご挨拶まではしたことないけれど、
どうかするとイエスちゃんより 目立つお人だったからさぁと小首を傾げ、

 「こ〜んな綺麗な長髪の人だったかねぇと思って。」
 「……あ☆」

あ、そうだった。今の彼ってば螺髪が解けておいでなんだったと。
指摘されなきゃ気がつかないほど、
こちらのお姿にもすっかり慣れているイエスや、
ましてや本人には判らない種の、違和感に戸惑っておいでだったようで。

 “そういえば。”

昨日、イエスも言っていたこと。

 『私たち、若手のホープって期待されてるみたいだよ?』

ご町内の皆様のうち、直接に接する機会はまだない人までも、
意外と自分たちへ眸を向けているとか言ってはなかったか。
さすがにもう2年はこちらに住んでいるのだし、
有給を使っての観光だという触れ込みの下、
町内会の行事へも繁く顔を出しているのだから、それも当然のことといえ。
こちらの女将さんもまた、
姿形と名前が一致する程度には自分たちを把握してらしたらしい。
とはいえ、

 “う〜んと。”

そうと言われても、
螺髪自体からしてその結い方が特殊な髪形、
神通力で圧縮しているのですと まんまを言っても通じまい。
さてどうやって説明したもんかと、ブッダが考え込みかけたところへ、

 「あれは彼の実家に伝わる、
  古いしきたりの編み込みなんだって。」

  ……はい?

それはにこやかに、しかも滞りなく、
そんなことを言い出したのが何とイエスだったのへ、
女将さんがまあとお口を丸く開いたのと同様、
ブッダもまた、こちらは唖然としてのこと、似たようなお顔になりかかる。
そんなご本人様を置き去りに、

 「ほどいたらこうまで長いほどの髪をね、
  決まった作法でぎゅぎゅって、結ってあるんだって。」

 「あらあら、そうなの。」

ミュージシャンの人の、ほら、レゲエの人の太い三つ編みみたいのとか、
アフリカの陸上選手の人が細かく細かく編み込んでいるのとかだって、
ほどいたらこのくらいはあるのかも知れないよ?と。
さも、真実まんまですという しっかとした口調で並べるイエスであり。

 《 ちょ、ちょっとイエス、それって…。》
 《 え? 違うの?》

さすがに、ややこしくなるかなぁと場の空気を考慮してのこと、
心の声にて問いかけたブッダだったのへ、
イエスとしては、これまた…心の中でさえキョトンとしておいで。

 “…うん。
  こうまでしれっと、しかも即妙に嘘をつける彼じゃない。”

そこがちょっと妙だけどというのも含めて、
何でそんな突飛なことを、
さも見て来たように言うの?とブッダが畳み掛けるその前に、

 《 だってさっき、梵天さんが言ってたのに。》
 《 …はいぃ?》

とんだ爆弾発言、これありて。

 《 神通力を常に使うなんて大変な髪形なんですねって訊いたら、
   天部が開祖に相応しくと用意した、
   由緒正しき意味ある髪なんですよって。》

 《 ………う、うん。それはそうなんだけどもさ。》

あれれぇ? 間違ってはないけど、
その説明を訊いて…それがどうして、今さっきのイエスの説明に変換されたのか。

 “……さては、途中式を都合のいいよに素っ飛ばしたな。”

よく言う“詭弁”というのとも微妙に違い、
どちらかといや“物は言いよう”の方だろか。
自分の頭の中での把握を、誰か他人へと伝えるのは、これがなかなか難しく。
同じ生活環境に長く共に居た家族や友達へでさえ、
出先での体験なんかを話すには、前振りが必要だったりするもの。
新しい考え方や斬新なロジックではなくの、
人の原罪や物事の真理という、
既存だったが誰もわざわざ眸を留めなかったこと。
だからこそ、何となくの把握で済まされていた実は大切な“核心”を、
優しく紐解いて広く知らしめたイエスには、
知識層のみならず一般の市民へまでそれらをするすると伝えるだけの、
それは繊細で行き届いた感覚もあったのだろうけど。

 親しい人が相手だとか、気心の知れた存在が居る場では、
 時折そういう掻っ飛んだロジックがお目見えすることがあり。

しかも、
お題目があの梵天に訊いた“それ”だともなると、

 “言いようを凝れば、
  由緒正しいものだってところを重きと出来もしようし…。”

大方、そうと解釈出来よう言いようをした天部だったに違いなく、
そこをこれまた、素直に伝えたイエスだったに過ぎないらしくて。

 「まあまあ こんな綺麗な髪だったなんてねぇ。」
 「はあ、まあその…。」

意外な発見を、だが喜ばれているようだったし、
今から辻褄合わせをしつつという、何ともややこしい言い回しを繰り出して、
どっか怪しげだと警戒されるよりは、うんとマシだろうということで。

 《 …ま・いっか。》
 《 ???》

生真面目で実直なお人じゃあるが、ここは場の空気を尊重し、
これも機転と、思い切って“流す”ことにしたらしい如来様だったようで。
やさしい肩がすとんと落ちたが……ブッダ様、どんまいっ。(こらこら)

 「それじゃあ早速 計ろうね。」

さぁさ、こっちへ上がってちょうだいと、
手を取っての促されたのが、畳敷きの小あがりの間。

 「イエスちゃんはもう済んでんだよね。」
 「うん、こないだおじさんが計ってくれた。」

意を通じ合っておいでの会話が飛び交うのへ、
依然として話半分なため、少々居心地悪いが我慢我慢と、
トートバッグを足元へ降ろし、気をつけの姿勢を取っておれば。
小柄なおばさま、いいつやの出た引き出しから取り出した巻き尺や、
傍の花生けだろうか竹の筒に差してあった長い物差しを小さめの卓へと揃え、
そちらもようよう使い込まれたノートを開くと、
慣れた様子で、まずはと書き込みをし始めて。
一番上へ“聖ぶっだ”と平仮名で綴られたのへ、
ああこれってと、やっとじわじわ見えて来たものがあったけれど。

 「さて、しゃんとしていてね。」
 「は、はいっ。」

気が逸れていたのを、やややと取り直せば、
そんな彼の、まろやかな線が優しい背中に、
今度はおばさまの方が、ふと視線が留まっての身動きが止まる。
何と言っても本物の釈迦如来様だもの、
毎日仏壇へ灯明を挙げておいでのおばさまなので、
余計に感じ入るものがあったらしいが、

 「どしたの?」

イエスがややわざとらしくも声をかければ、軽いトランス状態もすぐ解けて。
ああごめんごめんと、作業再開。
最初は物差しを手にしたが、思い直して手にした巻き尺、
手際よくピンと張ると、肩幅を測り、腕を伸ばさせて袖丈を測り。
ちょっと挙げてねと言われたブッダが、
片手を回してお背(おせな)へ降ろした髪を避けてから、
うなじの付け根のグリグリを確かめ、
少しだけゆるやかに挙げた腕の手首までという裄丈というのを測りと、
それはそれはてきぱきと作業は進み、

 「そりゃあねぇ、
  今時の人は、そういう活発な格好で
  どんな遠いところへでもさくさくお行きで、見てても気持ちいいけれど。」

彼らがお揃いのいで立ちなのへと くすすと笑い、

 「でもね、こうまでご近所の花火くらい、はねぇ?」

胸回りを測りつつ、そうとしみじみ言ったのへ、

 「だよね。やっぱり浴衣を着てかないとね。」

そりゃあご機嫌で応じたイエスだったものだから。
ああ やはりと
ブッダ様の胸の中、納得がいってことりと解け落ちたものがまず一つ。
こうやって採寸までしているくらいだから、
お仕立てものの浴衣をわざわざ誂えるつもりでいるらしく。

 《 イエス、何でまたこんな贅沢なものを。》
 《 だって半額なんだもの。》

今時はスーパーやファッションマートでも吊るしものがあるご時勢で。
日舞やお稽古を嗜んでいるでなし、
ご近所の花火大会見物用になぞ、5000円も出せば間に合うだろに。

 “どんなに良心的な低価格な拵えでも、
  反物から仕立てまでとなると
  3万5万はかかろうものでしょうがっ。”

ウチのきゅうきゅうな家計でそんな贅沢出来ませんと、
心の声まで震えかかったブッダだったのだが、

 「本当に助かったよ。
  取り置きのお宅が三軒もキャンセルしてしまわれてねぇ。」

女将さんがしみじみと言い、

 「今時は皆、吊るしのでその夏だけっていう使い捨ての着方をなさるせいか、
  せっかくのいい柄も外へ出回らない。
  取り置きになってたのは殆ど、
  そりゃあ腕のいい若手の染め師の人たちの作品だったから、
  せめて陽の目を見させてやりたくてねぇ。」

  “おや……。”

このくらいのご婦人の常、
特に問うてもないというに、勝手に紡いで下さったお話によると。
馴染みのお宅が例年のこととしていた浴衣のお仕立て、
なのに今年は、どのお宅も、
外へ出られた娘さんや息子さんが要らぬと言って来たのだそうで。
不景気だからか、それともこれもそういう時勢か、
心苦しそうに断りを入れて来られた奥さんたちには罪はなし、
さりとて結構な上物、もう手元へ取り寄せていたので、
こういうお商売だ、返しも出来ぬとあって。
来年に売り出すしかないかねぇ、
でもねぇ この生地は特別中の特別だから、
出来たら早く出回ってほしいって言われてたしねぇと困っていたところ、
物珍しそうに店内を覗き込んでいたのがイエスだったそうで…。
そんなところを口になさった女将さんだったところへ、

 《 大丈夫だよ、ブッダ。
   私そのためにアルバイトしたんだし。》

 《 あ……。》

しかも、ここのおじさんが紹介してくれたバイトで、
懐ろ事情 丸判りなんで、その範疇で手を打ってくれるって、と。
そりゃあもう、ほこほこと嬉しそうにしている彼であるらしく。

 “…………そっか。”

そうだったのかと、いろいろな齟齬がやっとのこと氷解し、
いがいがして飲み下せずにいた不快のあれこれも、
胸やら喉奥やらから、少しずつ解けて溶けての消えてゆき、
肩やら胸やら窮屈なくらいに重かったのも やんわりと楽にはなったものの、

 “………。”

まだちょっと。ほんのちょっと。
消え去らない陰も あるにはあるよな気がしてのこと。
気を抜くとありありと溜息が洩れそうなの、
何とか手前で咬みしめておいでのブッダ様だったりし。
そんな彼だなんて気づきもせずのこと、

 「イエスちゃんとは同い年かい?」

女将さんが 彼へも気安いお声をかけて来たので、

 「あ、いえ少し上ですよ。」

気の若いイエスはともかく、
自分まで若く見えるのかなと照れかかったところ。
うんうんと頷いたイエスが、口を開いて言いかかったのが、

 「だよね、ごひゃ…。」
 「五百日ほど、です。」

いやもう、
いつだったか年数を日にちに直すのが流行ったときにそれやったのが、
彼、いつまでもツボならしくてと。
こちらは微妙に“ウソ”で誤魔化したブッダ様だったけれど。
五百年ほどというホントを言っても…ねぇ?

 《 あ、ごめん。///////》
 《 うんうん、気をつけようね。》

油断も隙もない神の和子様に、
それでも苦笑で応じた、如来様だったのですが……




    ◇◇◇


小柄な女将さんにはやや大変だったかもという身長差があった、
やや大柄なブッダ相手の採寸も何とか終わって。
じゃあここから選んでねと、平たい塗りの木箱が戸棚から引っ張り出される。
そこには、やはり巻物になった反物が、7、8本も並んでおり。
一番表側のところへ何やら小難しい漢字で、
恐らくは…染めの種類や柄の説明、
全体の景色のお題だろう名前などが行書で記され綴られてあるのが、
ますますとエキゾチックジャパンな趣きで。
二人してわくわくと覗き込んでいたそこへ、

 「おお、採寸は済んだのかい。」

こちらの気配を察したか、
店主さんだろう、初老に差しかかる年頃というおじさんも出ておいで。
縁の細い丸めがね越し、
浴衣に関心があるという二人の異邦人を機嫌善さげに眺めやる。

 「いややっぱり背丈があるね、どれも広幅長尺だから問題はないが。」
 「肩幅も腕も長かったよ、こちらのブッダさんも。」

そうと改めてお褒めくださった女将さんへ、
そうかいそうかいとご主人も頷いて見せ、

 「そういうお人には特に、仕立てたのをお薦めだな、うん。」

今時の吊るしの浴衣だと、安くて柄もバラエティに富んではいるが、
一度着たらもう型が崩れたり、洗えばどっと色が出たり、
はたまた、生地にしわ防止の化繊がたくさん入っていたりという
素材の問題も多々あるし、
あまりに背が高いとか腕が長いといった体型への融通も利かぬ。

 「まあ、商売敵を褒めるわけはないから、
  話半分で聞いてくれていいけどな。」

からからと笑ったおじさんだったが、
言いつつ両手の間でくるくると、忍術のように手際良く広げられた生地は、
どれもこれも鮮やかな染めと柄の、
それはしっかりした逸品揃いだったし。
その道の職人さんとは、知識も蓄積も比較にもならぬ素人だとはいえ、
こちとらそれこそ気が遠くなるほどの長い長い歳月の間に、
供物だったり寺院への拝領や寄進として、
それはもう沢山の事物と器物を見て来た身でもあるがゆえ。
多少なりとも目は肥えており、

 「二人とも案外と色白だから、濃い色もしっくり合うよね。」
 「ああ、そうさな。」

主人夫婦の手で順番に広げられたもののうち、
黒に近い濃色の下地の上へ、
仄かな緑を絣のように淡くぼかした筆致で、柳の枝が幾重にも描かれたのを、
ふと取り上げたブッダだったのへ、

 「ああそれは、光明せんせえのだねぇ。」

他はお弟子さんや新進の作家のだけれど、それは特別。
ああいや、お代は一緒で良いさ、お目が高いねと、
さすがさすがと感に堪えたようにおじさんが褒める横で、

 「じゃあイエスちゃんは、こっちにするかね。」

そちらは一見すると濃藍の単色、
だがだが近寄ると様々な藍や青、紺に紫などなど、
こうまで青があるものかという濃淡も明暗も様々な色合いが
細い縦縞になって描かれた緻密な逸品を女将さんが選んでくださり。

 「あー、えっと?」

だがだがこちらさんは、衣類にはあまり関心はなかったか、
何とも評価のしようがなくての戸惑っているようなので、

 「良いと思うよ、イエス。瞳の色にもよく映える。」

横合いからブッダにそんな風に応援されたことでやっと意を決し、
これに決めますと頷いて見せる。
長めに広げて片側の肩へ掛けてみて、
ほらどうだね、顔色も映えての相性も良いと、
何だか身内への見立てでもしているような、
とほんと和やかな表情で勧められたはよかったが、

 「じゃあ、後は帯かな?」
 「え?」
 「はい?」

そういえば、浴衣だって帯は要る。
だがまあ、そっちこそ安物でもよかろうと構えていたのにこの畳み掛けであり。
帯ともなれば織物なだけに、それこそどんな値段がつくものか…と、
再び釈迦牟尼様の胸中に氷の雨が降り出しかけたものの、

 「無理言って買ってもらったんだ、帯は付けるサ。
  ただし、店晒しの中からになるけどよしか?」

 「あ・はい、構いません…じゃない、ありがとうございます。」

いいお店、いいご主人だったようで、
ついのこととて、
ブッダ様の側が両手を合わせて拝んでしまっていたそうな。


  な、何か微妙な奇跡とか起きなきゃいんですが…。(こらこら)










BACK/NEXT


  *長々と引っ張ってたイエスのアルバイトは、
   この資金のためというのが目的のそれだったらしいです。
   新妻としては、生活費に入れてほしいところでしょうが、
   随分とお値打ちの買い物が出来たので、そちらは納得したとして。
   まだちょっと、何か齟齬が居残ってるような気配が……。
   (誰が新妻かへの お怒りが先でしょうか、ブッダ様。)笑

   メモリー的に長いので、
   微妙に中途半端な位置ですが、こちらも前後に分けますね。


  *ところで、今時の浴衣の話というところで、
   チェーン展開店の浴衣をあんまり良くはなく言うとりますが、
   ウチの姪っ子が、
   水着のように毎年買い替えてたのが正しくそれだったもんでつい。
   一度着ると袖やら身頃やら微妙にラインがずれて来るものとか、
   化繊のせいか肌に張りつくらしいものとか、
   前合わせの重なりがどうにも不自然な仕上がりのとか。
   こちとら、
   仕立てたのを毎年糊つけて支度して着ていた世代の最後輩なので、
   やっぱりなんか、
   そういうクチの“吊るし(既製品)”には悪い先入観が抜けないのですよ。
   勿論、それでいいという人を非難はしません。
   むしろ、そんな形でもいっぱい着る人が増えてるのは良いことだと思います。
   そのうちでいいから、ちゃんとしたマトモなのも着てねと願うばかりです。


戻る